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パニックフェイス王 ドッキリ
JUGEMテーマ:お笑い


このドッキリまじで面白いラブキラキラ
お笑い好きもどっきりスキも是非Wハート

まずはNON STYLENON STYLE



犯人と人質(オレ) / NON STYLE/他


[DVDソフト] NON STYLE NON STYLEにて


NON STYLE LIVE 2008 in 6大都市 〜ダメ男VSダテ男〜


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次がオードリーオードリー



キャラ☆キング あの春日がトゥース!リアルファイトは悩んじゃうなぁの巻


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続いて!!
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どうもすみませんでした


どきどきキャンプ


ハイキングウォーキングハイキングウォーキング


有吉!!!!




我々は有吉を訴える〜謎のヒッチハイク全記録〜 / 有吉弘行

最期はWエンジン



お笑い / comments(0) / trackbacks(1)
Posted by : ちやこ
内P
JUGEMテーマ:お笑い

最近

内村さまぁ〜ず見てると
CMで流れる

「内村プロデュース 俺チョイス」

もすっごく気になるじーっ













内村プロデュース〜俺チョイス 内村光良〜俺チョイス

内村プロデュース〜俺チョイス 三村マサカズ〜俺チョイス

内村プロデュース〜俺チョイス 大竹一樹〜俺チョイス

内村プロデュース〜俺チョイス TIM〜俺チョイス

内村プロデュース〜俺チョイス 出川哲朗〜俺チョイス(初回生産限定)

内村プロデュース〜俺チョイス ふかわりょう〜俺チョイス(初回生産限定)


内Pは実はあんまり見たことないんだよねううっ...ためいき

でもこれを期に見てみようかな上げ上げ



最近お笑い見すぎててやばい・・・ガクリ
アメトークとかやりすぎコージーもガッツリ見てるしw

この前の

やりすぎvsアメトーク

の対決も面白かったなぁ〜nipa*きらきら!!

お笑い / comments(0) / trackbacks(0)
Posted by : ちやこ
内村さまぁ〜ず って
JUGEMテーマ:お笑い


面白いですよね!!

最近毎週見てますキャハハてへ





内村さまぁ〜ず vol.1


内村さまぁ〜ず vol.2


内村さまぁ〜ず vol.3


内村さまぁ〜ず vol.4


内村さまぁ〜ず vol.

5

内村さまぁ〜ず vol.6




内村さまぁ〜ず vol.7




内村さまぁ〜ず vol.8


内村さまぁ〜ず vol.9


内村さまぁ〜ず vol.10



出てくるゲストも毎回面白いしw
あとさまぁ〜ずの絡みもスキWハート

うっちゃんのドSっぷりもたまんないしね笑うニヤッ
お笑い / comments(0) / trackbacks(0)
Posted by : ちやこ
ダウンタウンコンビ結成直後
JUGEMテーマ:お笑い


NSCでネタ見せの発表会を行う事になり、その時が初めて二人で漫才をした最初の舞台となった。小学生の頃からツルんではいたものの、前述のとおり、互いに別々の相方がおり、二人で一緒に漫才をしたりコントをしたりということは、この発表会の時まで一度もなかったのである。漫才を本格的にスタートさせるに当たり、当時、人気絶頂であった紳助・竜介の漫才が吹き込まれているテープを、全く同じ事が出来るようになるくらいまで繰り返し聴いた。その後、現在の『ガキの使いやあらへんで!!』のフリートークに見られるような、自分たちの個性に合ったスタイルとテンポに換骨奪胎する形で移行していったのである。発表会には特別ゲストとしてオール阪神・巨人が招かれていた。そして、NSCのライバルとも言える同級生達が見つめる中で二人は漫才をした。結果は、厳しい目で見ていた同級生達でさえも大爆笑するというものであった。

当時、NSCには一線で活躍している吉本興業の先輩芸人が講師として赴くことがあり、島田紳助、明石家さんま、オール巨人も講師として赴いていた。その三人がある時、たまたま集まった席で「NSCにめぼしいのはおるか?」という話になり、「二人すごい奴がおる」、「一組だけ(ダウンタウン)やな」と、三人ともダウンタウン(松本・浜田)で意見は一致していた[2]。

1982年7月、NSCに入ってわずか三ヵ月足らずの二人は、第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールに「松本・浜田」として出場することになり、見事、福笑い大賞を受賞する。二人が披露した漫才のネタは、浜田「俺の足は‘カモシカのような足’と呼ばれてんねん。」松本「‘カモシカのような足’と言うのは間違い。それを言うなら、‘カモシカの足のような足’と言わなあかん。‘カモシカのような足’と言うたら、人間の足にカモシカの顔があって、しっぽがあって、足全部がカモシカになってるんか?」といった内容であった。審査委員長の香川登志緒は二人に感動し、この時の印象を後々まで語った。ダウンタウンを公の場で評価した最初の人物でもあった。

同年8月、フジテレビ系列、笑ってる場合ですよ!お笑い!君こそスターだ!に「ひとし・まさし」の名で出場し、5日間連続で勝ち抜き、グランドチャンピオンとなった。また、同年同月、毎日放送 素人名人会で名人賞を受賞した。またこの頃、新人としては異例の早さでなんば花月の舞台にも立っていた。しかし、「二人が向かい合うように立って声を張らずにしゃべる」「各々が好きな服装で舞台袖から走らずダラダラ歩いて出てくる」という漫才スタイルは当時では珍しかったゆえ、旧態依然とした花月の高齢化した観客には賞を取った二人の漫才もあまり受けなかった。劇場の仕事は月に5日程度で、僅かに発生したギャラは、ずっと滞納していたNSCの月謝(当時は1万5千円であった)に充てるべく差し引かれたので手元に残る金は無かった。

同年12月12日、テレビ朝日系列、『ザ・テレビ演芸』の若手芸人勝ち抜きトーナメントに「ライト兄弟」の名で出場し、司会の横山やすしに全否定される(後述)。

1983年1月15日、'83 ABC漫才・落語新人コンクールに「松本・浜田」として出場するも予選落ち。この年の最優秀新人賞は、正統的な上方漫才をするトミーズであった。NSCに入って1年、同期のトミーズが注目をされ仕事を増やしていったのに対し、松本と浜田は相変わらず花月に出演するだけの毎日を過ごしていた。そんなある日、吉本の偉いさん達に連れて行ってもらっていたミナミの「スナック・プチ」にて、「おまえらブラブラしとるんやったら、ここでバイトせぇ!」と言われ、しばらくアルバイトをすることになった。同年5月、そんな日の目を見ない不遇の日々にも、ささやかな光明が差す出来事があった。吉本の大阪本社に「松本・浜田」の漫才を観た千人にも上る人達の署名が入った嘆願書が届けられていたのである。その内容は、「もっと二人を劇場に出してください」「もっと二人をテレビに出してください」というものであった。同年同月、コンビ名をダウンタウンとする。

1984年1月16日、'84 ABC漫才・落語新人コンクールに出場し漫才部門で最優秀新人賞を受賞する。

同年2月、昭和58年度 第14回 NHK上方漫才コンテストに出場し優秀賞を受賞する。

1985年1月19日、日本テレビ系列、お笑いスター誕生!!第4回オープントーナメントサバイバルシリーズに出場し、一回戦を97点、二回戦を99点と勝ち進み旋風を巻き起こすも、準決勝で93点と、笑パーティーの99点、ちゃらんぽらんの 95点に及ばず、惜しくも決勝進出はならなかった。(第4回は笑パーティーが優勝した。)ちなみに、ウッチャンナンチャンは、このトーナメントの第7回目に優勝しており、その事を後の共演番組『夢で逢えたら』の中で、「君らグランプリとったけど、俺らどうせ3週(3回戦)で落ちたわい。」とネタにして笑っていた。

当初、島田紳助は、新世代漫才のあるべく姿を「間を減らしたテンポの早い16ビートの漫才」と見ており、それゆえ、ダウンタウンのテンポの遅い漫才を「ネタは面白いが、果たして世間で通用するだろうか?」と疑問視していた。しかし、うめだ花月で10日間に渡り共演した際、直にダウンタウンの漫才に触れた紳助は、その圧倒的な高度さに「ピカソの域に達している(簡単そうに見えて誰にも真似出来ないの意)。」と大きな衝撃を受け、「あかん、こんなもんと比べられたら、お笑いの世界では生き残っていかれへん。」と自己の限界を悟ったという。そして、その足で吉本の本社へと出向き、「明日で紳助・竜介を辞めますわぁ。」と、漫才から身を引く旨を伝えた[3]。この時期にダウンタウンが売れることを予見し、やがて大きな存在になることを確信していたのは、島田紳助と、やはり二人の才能に感化された才覚のある数名のスタッフだけであった。

1985年5月17日、紳助・竜介を解散した紳助は、記者会見の席上で解散の理由について、「うめだ花月で巨人・阪神とか、サブロー・シローとか、ダウンタウンを見てると(自分達は)明らかに負けている。それが悔しくて辛い。」と、ダウンタウンを芸歴10年の自分達(巨人・阪神/サブロー・シロー/紳助・竜介)と並べ悲痛な胸の内を語った。しかし、翌日の新聞には‘‘紳竜解散! サブロー・シローらには勝てない’’と書かれており、まだ無名に近かったダウンタウンの名前が世間に知れることはなかった。後に島田紳助が『ダウンタウンDX』にゲスト出演したとき、松本は島田紳助に、「僕は勝負がしたかった。同じ板の上、同じ客の前でやりたかった。この世界に入った時の目標は紳助・竜介だったから。それが出来なくて悔しかった。」と、勝ち逃げするなんてずるいじゃないですか、という意味のことを語った。
お笑い / comments(0) / trackbacks(0)
Posted by : ちやこ
ダウンタウンの出会い
JUGEMテーマ:お笑い


潮小学校にて二人が出会う。初めて松本が浜田を目撃した時、浜田の格好は白いパンタロンにパーマ頭でサンドバッグみたいな鞄を持っており、松本が、「モンゴルからの留学生や思た」「イタリア人かと思た」とネタにするほど強烈なものだった。また「小学校5年生にして彼女がいたというなんというハレンチな男であろうか」(『遺書』より)という話もある。(この話は松本がいろんな場所で話している。その際は必ず「パンタロン」という単語がでてくる)逆に浜田の松本に対する印象は「正露丸(日焼けで真っ黒のため)」だったという。松本はとてもおとなしい子で陰のあるタイプであったが、天性の話のおもしろさや、赤塚不二夫ばりのタッチで絵を描いたことなどから、クラスの皆から一目置かれる存在であった。小学4年生になる頃には、同級生の伊東と森岡の三人で“コマ第三支部”というトリオを組み、大人顔負けの漫才やコントなどをするようになっていた。

一方、浜田はというと、松本とは対照的にやんちゃな性格で人前では「わーわー」言って目立とうとする子供であった。その浜田は別の友達とコンビを組み、ブルース・リーの物真似などをして周囲を笑わせていた。また、この小学校には他にも高須のグループなども存在していて、小学生達が笑かし合うことに夢中になっていた。そんな当時をラジオ番組『放送室』で回想した松本は、「とにかく潮小学校の笑いのレベルは尋常ではなかった。」と語っている。そのような小学校において松本は、同級生達曰く、“校内で一番面白い奴”であった。しかし、女子には不評であったという。

大成中学校2 年時、クラス・放送部で一緒になり、一気に友情を深めお互いを「はまちょん」「まっつん」と呼び合う仲になった(「ちゃん」付けで呼びづらい雰囲気だったという)。ただ、お互いに“ツレ”と呼ぶ“相方”がいたためコンビを組むことは無かった。特に松本と伊東は小4の時からコンビを組み、その結びつきは傍目にも強かった。しかし、浜田の登場により松本と伊東の心情に微妙な変化が起こり始めると、やがて、松本を取り合うかような、まるで恋愛における三角関係のような状態になっていたという。そして、三人の関係を決定付ける事件が起こった。いつものように「松本・伊東・浜田」で遊んでいる時に、浜田と伊東がほんの些細な事を理由にケンカをした。仕舞いには殴り合いにまで発展したケンカに浜田が勝利。「まっつん、行こうや!」と歩き出した浜田に、松本は一瞬どうしようかと考えたが、浜田の歩き出した方角が浜田の自宅とは全く反対だったことと、ケンカをしたのが伊東の家の前だったことから、知らず知らず、浜田の方に吸い寄せられるように付いていった。この日を境に伊東とはギクシャクした関係になり、遊ばなくなった。松本は、「あの日は本当に人生の分岐点だった。」と何度も感慨深げに語っている。なお、この時の事情は、後に伊東が高須に語った『放送室の裏』(ワニブックス)に大変詳しい。

中学校を卒業すると、浜田は三重県にある全寮制の日生学園第一高等学校(後に日生学園第二高等学校へ編入)に入学することになる。そのため、以前のように、いつも一緒にいるような関係ではなくなったが、日生学園は、朝は4時に起床、トイレは素手で洗わせるという厳しい学校であったため、浜田は山間にある寮から何度も脱走を繰り返し、その手段として時には無賃乗車もした為、松本に電話をして鶴橋駅まで来てもらって電車賃を払ってもらうなど、なんやかんやで絆を温めていた。同校の二年後輩に今田耕司がいたが、こちらは脱走に成功し、そのまま中途退学をして定時制高校に入り直した。浜田はこの学校の出身であることがコンプレックスなのか、自分の事を話したがらない性格なのか定かではないが、『ダウンタウンのごっつええ感じ』に担任の先生が登場するなどしてネタにはされているものの、浜田自身の口から学校名が出たのを松本は一度も聞いたことがないという。しかしながら、自身の著書『読め!』(光文社)においては、日生学園での生活の様子や私生活、家族のことなども赤裸々に著している。一方の松本は、「尼崎工業高校(機械科)」に入学したが、徐々に素行が悪くなり、学校を抜け出して中学時代からの彼女とずっと遊んでいた。彼女がアルバイトに行く時は、自転車の荷台に彼女を乗せて送り迎えをしていた。

高校卒業後の1982年4月、競艇選手の試験に落ちた浜田が、地元の印刷工(アルバイト雑誌の印刷)に就職が内定していた松本を家の近くの公園に呼び出し、雑談の中で「なぁまっつんよ、あの話覚えてるか? “二人で吉本入れへんか?”言うてた、あの話。」と吉本の芸人養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」に誘い大阪NSC一期生(漫才コース選択)となる。同期にはトミーズ、ハイヒール、内場勝則、浜根隆、前田政二などがいる。同期の中で一番テレビデビューが遅かったと浜田は語っている。コンビ名は、「松本・浜田」「まさし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変わりつづけたが、1983年に喫茶店で何気なく開いた雑誌に偶然記載されていた「ダウンタウン」という文字から(さんまのまんまより)決め、ようやく定着する。「ライト兄弟」の名は飛行機好きの横山やすしから「飛行機をバカにしとんのか」と否定された。なお、ダウンタウンの本名はホフェッセン・フェルギル・ヌギ・ダウンタウンであると称したこともある[1]。ダウンが松本、タウンが浜田であり、ごくまれにではあるが、現在でも「ダウン松本」、「タウン浜田」と名乗ることもある。これは、当時、関西の漫才師では「ダウンタウン」のような、コンビ名にユニット名を使うコンビは珍しく、しばしば「どっちがダウンでどっちがタウンやねん」というツッコミをされることがあったため、一応決めておくことにしたという。

デビュー6年目の1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した『4時ですよーだ』という初の看板番組でブレイク。大阪を中心に火がつき関西でアイドル的人気を得るようになる。1988年10月、関東ローカルでウッチャンナンチャンらと共演した深夜のコント番組『夢で逢えたら』が始まると、『4時ですよーだ』終了半年前の1989年4月、『笑っていいとも!』のレギュラーとなり本格的に東京に進出することとなった。同年同月、『夢で逢えたら』が全国放送となり、同年10月には、現在も続く『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』が関東ローカルで始まり、間もなく全国的に認知されるようになると、1990年には、『どちら様も!!笑ってヨロシク』、『夜も一生けんめい。』、『クイズ年末はSHOW by ショーバイ!!』といった数々の番組に出演するようになり、全国民的な人気を得て、その名を不動のものとした。そして、1991年12月、数々の傑作コントで、各界の著名人にも多数のファンを生んだ、『ダウンタウンのごっつええ感じ』がスタートする。またその後は、1993年に『ダウンタウンDX』、1994年に『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』がスタートし、どちらも今日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に次ぐ長寿番組となっている。また、本業のかたわら、CM、ドラマ、映画、文筆、音楽、といった幅広い分野でも評価され、現在に至るまでマルチな活躍を続けている。
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Posted by : ちやこ
キングオブコメディ
キングオブコメディの今野って

ほんとウザイキャラはまってるよね〜w

完全にウザイもん!!!


デモ最近

『○○なんですけど!!!
○○なんですけど!!!
○○なんですけど的な!!!!』

ってゆうのがなくてなんか物足りないw
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Posted by : ちやこ
ザ・たっち 実は双子であることが嫌だったと告白
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 双子同士でお笑いコンビを組んでいることで知られているザ・たっち。“幽体離脱”や“おすぎとピーコのモノマネ”など、双子であることをネタにした芸が多い二人だが、実は双子であることが嫌だったことをブログに綴っている。

 ブログの読者から「双子で嫌だった事はありますか?」という質問受けたというザ・たっち。その質問に対して、「あります!そりゃたくさんありますよー!多すぎてブログには書ききれません!!」というかずや(26)が、その例となるエピソードを三つ挙げている。

 まず、一つ目は、小学校の鬼ごっこでのエピソード。クラスメート達も二人の区別がつかないため、急に後ろからタッチされ、「はい次お前が鬼ー!!」と、どちらか片方が参加した鬼ごっこの鬼にされてしまうのだという。

 二つ目は、幼い頃に家族でディズニーランドに行った際に、たくや(26)が迷子になってしまった時の話。周囲を探してもたくやが見つからなかったことに困った母親がかずやの顔を掴み、「すみませーん!!誰かー!!こんな子見ませんでしたかー?」と叫んでため、かずやは子供ながらに恥ずかしい思いをしたのだという。

三つ目は、お笑い芸人を始めてからの話。同じ顔をしているために、コントや漫才の役柄の設定が分かりにくく、「あれ?どっちが警察だっけ?」などと、観客が二人の演じている役柄が分からなくなってしまうのだという。

「とにかくまだまだ双子は嫌な事あります!」というザ・たっちだが、「常に仲の良い友達が横にいるような感じですよ!」と双子であることの利点も語っている。しかし、「学費は二倍です!」とも綴り、芸人らしく話の最後にオチをつけていた。
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Posted by : ちやこ
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